離檀について解説

◆離檀とは

離檀とは、お寺の檀家を辞める、離れるということです。
檀家という言葉自体は鎌倉時代には存在していたそうですが、現在に通じる制度として定着したのは江戸時代。宗教統制政策の一環として設けられた寺請(てらうけ)制度が、現在の檀家制度の始まりと言われています。
檀家は、お寺や僧侶を庇護する庇護者である檀越(だんおつ)の家という意味で、檀家制度は、檀家がそのお寺や僧侶に葬祭供養の一切を任せることです。
檀家が所属するのは特定の寺院で、その寺院に葬祭供養を独占的に手厚く執り行ってもらうことで、檀家はお布施をします。つまり、一般民衆である個々の檀家が、寺院の経済的支援者となる仕組みです。

◆檀家制度の歴史

江戸時代は現在よりもその関係性は濃く、檀家は寺の経営を支える組織として完全に組み込まれていました。
常時の参詣はもちろん、年忌命日法要の施行、祖師忌や釈迦の誕生日、釈迦涅槃日、お盆や春秋の彼岸の墓参りが檀家の責務とされていて、もし檀家がそれを拒否した場合は、寺は寺請を行うことを拒否し、檀家は社会的地位を失ったのです。
寺請とは、キリシタンではないことを寺院に証明してもらうことで、その寺請証文を受けることを民衆は義務付けられていました。民衆にとって証文を得ることは、生活のみならず、生死にかかわる大事だったのです。
さらに遠方に移住するような場合を除いて、別の寺院の檀家になることも別の宗派や宗教に属することも許されませんでした。一般民衆は生まれた家や地域など先祖代々が所属する寺院、つまり檀那寺の檀家となりその責務を履行するほか、選択肢はなかったのです。
ですから、寺院と檀家との関係性は全く対等なものではなく、圧倒的な力関係が生じていました。このため寺院は、安定的な経営が確保されたことでむしろ信仰や修行よりも寺門経営に勤しむようになり、僧侶の乱行や僧階の売買などにも繋がっていきました。
当時は新規寺院の建立は禁止されていましたが、廃寺の復興という名目で行われ、末寺も増やしていったのです。
また、家や祖先崇拝の側面が強くなり、本来の仏法の教えを乞うことよりも、葬祭供養を行うための仏教、いわゆる葬式仏教としての位置づけが浸透することとなりました。

◆現代の寺院と檀家の関係

この、仏教のあり方や檀家が寺院に求めるものが、仏教の教義ではなく葬祭の司祭者であることは、現在でも宗派に限らず色濃く残っており、ただお墓を持っているだけで寺院と繋がっているという檀家が多いのも事実です。自覚がなくても寺院にお墓があれば、それはその寺院の檀家であるということになります。
しかし、家人の葬儀や祖先の年忌法要といった儀礼でしか寺院と檀家が接点を持たないケースは、実際のところとても多いのです。
さらに都市部への人口移動により、地域によっては人が減り、廃寺も目立っています。また、葬祭供養についても、葬儀業者が手配するケースも多く、寺院と檀家との関係がますます希薄になっている傾向にあります。
現在は憲法20条で「信教の自由」が定められていますので、必ず檀家であり続ける必要はありませんし、その必要性を感じなくなっている人も増えているのです。

◆お墓維持の問題点

お寺もお墓も変わらず存在し自分自身がお墓のそばで暮らしているとしても、将来的にお墓を守っていく、いわゆる墓守がいないために、無縁仏になってしまうお墓も多くあります。
これは人口移動などの影響のほかに、少子化により後継ぎがいないといった問題も影響しています。また、都市部にいる子どもや孫に遠方までお墓参りさせる負担や、お寺への寄付や檀家料などお墓の維持費といった金銭面で子どもや孫に負担をかけたくないという思いから、改葬や墓じまいを考える人も増えています。
この改葬や墓じまい、つまり、お寺から別の場所にお墓を移したり、お墓を整理したりするためには、檀家を辞める必要があります。これが離檀です。

最近は離檀する人が増えており、それと共に離檀をめぐる様々な問題も取り沙汰されています。離檀を考えてはいるけれど、なかなか実際に話を進めることができずにいる人も多いようです。また、檀家を辞めるお寺には直接聞きづらい内容のため、どのように進めたらいいかわからない、という人もいるでしょう。
離檀の進め方やそれに伴う手続き、また注意すべき点など、その内容についてはまた別の記事でご紹介しますので、是非参考になさってください。